勝海舟記念下町浅草がん哲学外来Café

勝海舟記念下町浅草がん哲学外来Caféの歩み|主宰 宮原富士子

 このがん哲Caféの歩みは実に趣きぶかいものがある。
  最初の出会いは、お茶の水メディカルタウン研究会・・樋野興夫先生との出会いであった。
  秋山正子さんに誘われて参加させていただくことになるのだが、その秋山正子さんとの出会いは、その前年に開かれた聖路加看護大学での30年後のメディカルタウン研究会であったと思い出す。それは、女性医学で知り合った野地有子看護師の紹介で参加したもので、宮原の活動の中での女性の健康支援とがん哲学の原点であった。そしてそのお茶の水メディカルタウン研究会で出会ったのが、当時浅草医師会立訪問看護ステーションの花形看護師、倉持雅代看護師だった。
「あさくさ」という一言でつながってゆく・・・そして、  年7月の暑い日の夜・・私たちは、浅草の老舗かつお節や2階の会議室にいた(今はそのお店と会議室のあったビルは、マンションに変身してしまったが、仲間のN看護師の長女はまだN看護師のおなかにいて胎教からのがん哲学学びの徒となったわけだ)。
  その頃、今ではあさくさの主流メンバーのひとりNケアマネジャーが参加。特別養護老人施設の施設庁の推薦で、きっとこの仲間に合う人だよということで紹介参加だった。そこに、「勝海舟」の大ファンで今では平成の(令和の)勝海舟おじさんといわれる江川守利さんの登場である。
  この江川おじさんの歴史と勝海舟の語りがまたすごい。樋野先生の言葉の処方箋とあいまって、独特の“勝海舟記念下町浅草がん哲学”が醸成されてゆく、その後、場所を花の辻の会議室へ、そして今の系や極隣の会議室に移しながら、その年その年、その回その回ごとの確かなる言葉と語らいの積み重ねの歩みがつづいている。その間に、多くの方に個人相談、カフェ相談と来訪いただき、その1回ごとの来訪とその後のショートメールや電話でのやり取りが続き、1人ずつの人生の重みを感じつつ充実してゆくときが流れる。 今は亡き人たちの思いもその中にエネルギーとして熱感として息づいていることがとても大事なことだと毎回感じさせてくれている。まるで生きているもののようにこのカフェは続いてゆくのだろうと。
  樋野興夫先生が、新渡戸稲造からの歴史を語るように書物で語り部からの話で、江川守利おじさんの読書の中から、そして見えない糸でむすばってきた、大事な浅草を起点とする仲間が、亡くなった人も含めてつながってゆく・・・このエキサイティングな生き様の流れを何を持ってのこしてゆけばよいのか・・ずっと考えていた。そして、であった桑島エディター。3年間にわたって文字として記録を残してきた。勝海舟記念下町がん哲学外来10周年を記念して、書き溜めてきたもの、語り合ってきたものを HPと冊子を通じて紹介してゆくこととした。そして またそれを読み返し、あるいは新しい出会いの人と考え、醸成してゆくものを眺めて、また記録に残してゆきたいと思っている。

 

アーカイヴ